マンガ版【ゴブリンスレイヤー】にて、記憶に残る名場面をランキング形式でお送りするページになります。
感動、興奮、残酷などなど…
ダークなファンタジー世界で、トップを飾るのはどのシーンなのでしょうか。
それではさっそく、いってみましょう。
10位:転移の巻物
10位は上位の祈らぬ者である、オーガとの死闘のワンカット。
海底と接続した巻物を行使することで、一撃必殺の水圧カッターを放ちました。
発言は前後しますが、「武器で出来ないことを術でやる」というのがゴブリンスレイヤーのスタンス。
つまり単調な攻撃魔法にはそれほど価値がなく、逆に搦め手として用いることで最大限の効果を発揮するということですね。
それは女神官へ指示する奇跡の使い方に如実に表れており、護りを攻撃に転じさせる運用方法が光っています。
この水圧カッターはその真骨頂ともいえるもので、恐らくこの手の魔術を操る術者は居ないと思われるでしょう。
柔軟な発想が導き出した、乾坤一擲の逆転劇でした。
ちなみに外伝「イヤーワン」では、この巻物を入手した経緯や、接続を頼んだ模様が描かれています。
気になる方は、そちらもチェックしてみましょう。
9位:ゴブリンどもは皆殺しだ
9位は巣の最深部で見つけた、幼生ゴブリンを駆除するシーン。
「子供のゴブリンは見逃すか…」「見ないふりをしてやるか…」
そういう甘えをバッサリ断ち切り、彼は無慈悲で冷徹な棍棒を振り下ろします。
このエピソードをあえて冒頭で描くという部分に、既存のヒーロー像との差別化がハッキリ示されています。
躊躇、慈悲、憐憫。
およそ多くの冒険者が見せるであろう感情など、足元を掬うための妨げでしかない。
ゴブリンスレイヤーがなんたるものかを明々と告げる、冒頭に相応しい衝撃的なエピソードなのです。
敵に情けをかける甘々な主人公に飽き飽きしていた読者たちに、これでもかと存在感を見せつけた最高の展開なのでした。
のちにゴブリンロード編で明示されますが、仮に幼少や手負いであってもゴブリンは危険であることが分かります。
多くの女性を謀って生き永らえた小鬼の王は、まさにそうした慈愛に付け込んできたのですから。
8位:手伝う必要はない
8位は、小鬼英雄との危険な戦いの末に、女神官へ選択肢を提示したシーン。
傷付き死にかけた一党を目前にして、彼の心中が吐露されます。
この場面では、彼が5年間ものあいだ何故、単独でゴブリンに挑み続けたかが、うっすらと見えてくることになるでしょう。
つまり彼は、失うことが怖いのです。
それが目の前であればなおのこと、逝った姉に重ねてしまうのですから。
そして大切なものを失わないためには、それを遠ざけるか、或いは最初から持たないことが楽な道です。
しかしそうやって孤高を歩んで来た彼ですが、女神官との出会いからは徐々に変わりつつあります。
この場面で選択肢を求めたのは、まさにその結果とも呼べるでしょう。
本当に以前の彼のままならば、相談など無しに、次からは同行しないという合理主義を貫けばいいだけですから。
7位:不死の談話
7位は、1000年後の約束を交わす蜥蜴僧侶と妖精弓手のシーン。
まるで情景の浮かぶような会話に、思わず好奇心を揺さぶられますね。
ゴブスレ世界では、主に生物は定命と不死とに分かれます。
中でも森人、特に上の森人は格別に寿命が永く、その悠久の生ゆえに数多の出会いと別れを繰り返しています。
9巻ではそうした不死ならではの葛藤を示唆する場面が多く、今組んでいる一党の解散する未来を、遠くない先へと感じているような仕草が妖精弓手に表れています。
只人の友人がたった100年で逝去していく姿を見送る時、彼女の胸の内にどんな思いが浮かぶのか。
少しだけ寂しさを感じる、行軍のさなかの談笑でした。
ちなみに公式設定では蜥蜴人は位階を高めれば本当に竜へと昇華出来るようで、この蜥蜴僧侶の場合、まるでゴジラのような体躯になるそうです。
チーズを齧りながら、森人とゴブリン退治の昔話を交わす竜を想像すると、なんとなく心が温まりますね。
6位:全滅するパーティ
6位は、冒頭1話目のパーティ全滅シーン。
迂闊に巣穴へ踏み込んだ一党は、為す術なく殺され、奪われ、辱められてしまいます。
希望や楽観は意味をなさず、備えない者は端から死んでいく。
テレビゲームのように序盤は優しい敵が現れるなんてことはなく、世界は最初から全力で冒険者を殺しにきているのです。
女神官の味わった恐怖や焦燥、絶望がこれでもかと示されるのもポイント。
新米の冒険者が心を折るのには充分な惨劇が目の前には広がっていました。
この話を読んだだけで、「ゴブリンスレイヤー」という作品がどういうスタンスで描かれているかがひと目で理解出来ます。
冒頭で物語のディテールを強烈に伝える、なくてはならない一場面ですね。
5位:鏡を持ち上げる蜥蜴人
5位は悪しき教団の祭祀場にて、転移の鏡を蜥蜴僧侶が持ち上げるシーン。
なんといってもこの場面、蜥蜴人の心中に表れるモノローグがイケメン過ぎます。
「華奢な只人の娘が これほどに力を尽くしている」
「ならば一世之雄たらんとす蜥蜴人が」
「余力を残すなどありえん」
女神官の献身が引き金となり、最後の力を振り絞るに至った蜥蜴人。
パーティが一丸となって目的を遂行するさまは、心に熱いものをこみ上げさせてくれますね。
蜥蜴人族には只人を含むすべての他種族に偏見を持つ者も多く、下手すると混沌に与する異端者すらも輩出しているそうです。
そういう意味ではこの一党の蜥蜴僧侶はかなりの変わり者と言え、そしてぴったりな人選でもあるでしょう。
頼もしく力強い、彼の心根が示される一場面と呼べるでしょう。
4位:集う冒険者たち
4位は、ゴブリンスレイヤーの呼びかけに応え、冒険者たちが平野のゴブリン掃討戦に参加するシーン。
多くと馴れ合うことが出来ないはずのゴブリンスレイヤーが、頭を下げて助力を乞う姿は意外性の塊と言えます。
日頃から「変なの」として彼を見ていた冒険者たちも、決して彼を疎ましくは思っていないことが表されます。
槍使い、重戦士を筆頭に、彼らが次々と呼応する姿には不思議な感銘を感じずにはいられないでしょう。
もともと彼が「変なの」となったのは5年も前のこと。
長いことその後ろ姿を眺めていた冒険者らに、うっすらとはいえ、連帯じみた感情が無いはずもなかったんでしょうね。
ちなみに、「同じ日に冒険者になった」という吹き出しの主は、外伝「イヤーワン」で登場した”若い戦士“であるとの示唆があります。
辛い失敗を味わった彼がまだ存命で、なおかつ未だ冒険者を続けているという事実は、その過去を知る者には頼もしくも、ほほえましい感情を芽生えさせます。
3位:墓所の危機的状況
3位は、水の都の遺跡で罠に嵌められ、最大のピンチを迎える場面。
ゴブリンスレイヤーは致命の一撃を受け、女神官は重傷を負い、その他の味方も劣勢を強いられる絶望的なシーンとなります。
もともと小鬼英雄自体が、銀等級でも苦戦する上位の怪物です。(重戦士でも単独では危ういレベル)
それが群れを成し罠を用い、奴らに有利なフィールドで襲撃してきたのですから、余裕で捌くなどもちろん不可能。
とはいえパーティ、特に女神官が肩を齧り取られた時は、さすがに最悪の結末が脳裏をよぎりました。
誰が欠けてもおかしくない局面。
立ち上がったゴブリンスレイヤーは無論のこと、全員が死力を尽くした結果の起死回生であったことは明白でしょう。
2位:祭りの見回り
「だから俺は 天灯を拵えなかった」
2位は、受付嬢と空に浮かぶ天灯を眺めるシーン。
祭りで賑わう街の中で、彼はただひとり、ゴブリンの襲撃に備えていたことを吐露します。
マンガ版では明示されませんが、実はこの見回りは毎年行っているんです。
つまり実際に襲撃の無かった空振りを何度も経て、それでも毎回毎回穴を掘り、罠を仕掛け、杭を打っていたんですね。
誰にも認められず何の成果もなく、一文にもならない見回り。
それでも淡々と
彼が延々と孤独な哨戒を続けるその理由は、「失うことが怖い」という慈愛に満ちたものです。
もちろんゴブリンスレイヤーが、起因するその感情には恐らく自覚すらもないでしょうが。
しかし死者の魂が無事に送られたかを気遣うなど、節々でそうした所作は見え隠れしています。
彼の心根が表された、非常に感慨深い名シーンに数えられるでしょう。
1位:ゴブリンは俺が殺してやる
1位は剣の乙女に向けて放った、去り際のひと言のシーン。
メチャカッコいいやんけ…!
ゴブリンのトラウマで生涯悩まされ続けていた、大司教・剣の乙女。
彼女は理解と救済を求め、小鬼殺しを頼りました。
ゴブリンが出たなら夢の中でも呼んでいい、としたのは、彼なりの隠れた思いやりと考えるのが妥当でしょう。
実際には不可能なのにそんな約束をするということは、心の中の安寧を願っているに他ならないからです。
つまりこの場面では、ゴブリンスレイヤーがさらわれた虜囚の娘らに対してどう考えていたかがほのかに見える部分でもあるのです。
これまでは、巣穴探索に際しては徹底した合理主義と冷淡さが際立っていました。
しかしその実、深い兜の奥では義憤や絶望をかみ殺し、亡き姉を想起しては無力さに打ちひしがれていたのかもしれません。
しかし彼には被害者の心を安らかにさせることも、記憶を塗り替えることも出来ません。
出来るのはただ、ゴブリンを殺すことだけ。
よって上記シーンで剣の乙女に乞われた救いを断ったのは、「助けない」のではなく、「助けることができない」が正しいでしょう。
そして”助けることが出来ない自分“を歯痒く思うことの示唆が、「夢の中でも呼べ」という部分に繋がっているのです。
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